ようこそ裏競馬

『最強クラシック世代の一頭。』 小柄で華奢だったその彼の素質はデビュー前から高く評価された。 しかし一方で気性が激しく、調教どころか日常の世話も手こずる程の癖馬。 デビューから初勝利まで4戦を要した彼だったが、何とかクラシックへ出走可能な賞金を上積みした。 しかし皐月賞前哨戦、毎日杯で9着。 デビューから使い詰めだった彼は馬体重が激減。 クラシック出走レベルにないと判断された彼はクラシックを断念し、長期の休養に入った。 休養で馬体が充実し気性面でも良化を見せた彼は条件戦からオープン、阪神大賞典を連勝。 翌年の京都記念春にも勝ち、彼は重賞2勝目を挙げる。 ピークの状態で臨んだ天皇賞春。彼は逃げた。 しかしタイテエムと接触し、8着と惨敗してしまう。接触したタイテエムはそのまま勝利。彼は悔し涙を飲んだ。 タイテエムへのリベンジを誓い、彼は宝塚記念へと挑む。好調を維持し、距離は得意の中距離。彼はスタートからハナに立ち、そのまま逃げ切った。迫るタイテエムをクビ差退け初G1を制覇。2分12秒7は当時の日本レコードであった。 3週間後、彼は2番人気で高松宮杯に挑む。 宝塚記念と同様のレース運びで先頭を進み、彼は2番手をどんどん突き放した。直線残り200メートル。 手前を変えようとしたその時… 脚がもつれ、彼は前のめりに激しく転倒。 ジョッキーは馬場に叩きつけられた。 左第一関節脱臼。及び左第一指節種子骨粉砕骨折。 これが彼に下された診断だった。 そして…獣医師の放った一言が『予後不良』。 彼の故障は誰の目から見ても重症だった。 競馬をやらない人には分からないかもしれない。   馬というのは4本のあの細い脚で何百キロという体を支えている。その脚が一本でも故障し、治る見込みがない…と判断されたらそれはイコール、彼らにとっては『死』に直結するのだ。 彼は痛み、苦しみもがいた。しかし彼に安楽死の処置が施される事はなかった。彼はそのままの状態で馬運車に乗せられ、厩舎へと運ばれた。 そこでも彼の苦しみに何の処置も取られる事はなかった。 彼がのたうち回って暴れ、痛みにもがき、苦しむ声は一晩中厩舎に響き渡っていたという。 翌朝になり、痛みで苦しむ姿のまま、彼は屠殺場へと送られた。 その馬肉は『さくら肉・本日絞め、400㎏』という品目で名古屋の食肉市場へと売りに出された。 やがてこの事実が新聞で取り上げられ、彼のこの事件は大きな物議


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